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第四回 星正壽氏との対談

対談第四回 星 正壽氏 

星氏対談1P目

第四回星正壽氏との対談
星:正壽(ほし まさとし)
元 株式会社菱食 執行役員北海道支社長
元 三菱食品株式会社 常務執行役員


すでに大物の片鱗を見せていた学生時代


山本:もともと僕はいろんな人にお話聞くの好きやったんですけど、やっぱり年上であればあるほど、あと一つの業界に長くいる人って、それなりに強みってあるじゃないですか、残ってきた理由とか。それに役職に就かれるにあたって理由があると思ってて、そういうものの片鱗でも学べればいいかなと思ってやってます。
星:でも、社長のほうがもっと大変じゃない。
山本:僕ももう20年ぐらいしましたけど、まだまだ。
星:サラリーマンの役員なんて楽なものですよ。(笑)
山本:(笑)全然、楽じゃない。まずは大学ぐらいから教えてほしいんですけど、大学ってどこの何行ってたんですか。
星:僕は東京の吉祥寺にある成蹊大学、今もある。これはもともと三菱が作った大学です。旧制高校、昔のね。成蹊高校っていうのを最初に作ったんですよ。それはなんで作ったかっていうと、三菱の関係者、三菱の社員の息子を東大とか京大に入れるために作った高校ということだそうです。
山本:ほんまかいな、めっちゃやばいな。
星:柔道部、入ってたんだけど、僕の柔道部の先輩たちは成蹊高校〜東大、成蹊高校〜京大っていうような人がすごい多いんですよ。
山本:じゃあ、めちゃめちゃ素晴らしい。
星:いい高校だった。成蹊高校ができて、今は成蹊大学、成蹊小学校から、小学校、中学校、高校、大学ってなってる。一番入るのが難しいのは小学校、成蹊小。慶應の幼稚舎とか、慶應の幼稚園とまではいわないですけど。
山本:おもろいな。でも、最初に小学校入ったらもう、勝ちみたいな感じですか。
星:そこ入ればずっと上がれるから。
山本:すげえな、珍しい、すごいな、それあまりないですよね。
星:そういうの多いんだよ、成城大学もそうですよ、成城なんか、青学なんかもみんなそうだね。
山本:じゃあお坊ちゃんですね。
星:俗に成蹊大学ってお坊ちゃま大学です。成蹊、成城、学習院、青学。青学、最近そうでもないけど、その辺は俗にいうお坊ちゃま大学。だから金持ちいっぱいいましたよ。本人じゃない、親が金持ちとかじいさんが金持ち。森ビルの会長の孫とか。
山本:それもうとんでもないやつやん。
星:いたときに、いろんなのがいましたよ。だからあれですよ、安倍晋三が後輩です、二つ。兄貴が僕と一緒。
山本:そういう大学の人脈って、今でもっていうか人生の中で結構、使われてますか。
星:全然。私があまり学校のあれとか、私が大学時代の友達、何人かいますけど、先輩とかそういうの使ってどうのこうのっていうのは、ほとんどありません。あまり好きじゃないんで。
山本:でも、そのときの友達とか全く絡みなしですか。
星:ないですね、本当。たまたま三菱食品になったときに初代の社長が井上彪さんっていうのが、三菱商事の副社長やられてた方で、自分で三菱食品作りましたから。明治屋とかいろいろ集めて作った人だから、初代の社長やった人がたまたま成蹊のOBだった。
山本:それでちょっとあったぐらいで。
星:そうですね、社長ですから。でも先輩だと思ったら言いたいこと言ってますよ。すごい見た目、すごく怖い感じでした。
山本:めっちゃ面白いな。
星:ほんで、真っ黒なんですよね、黒いんですよ。
山本:何がですか、腹ん中。
星:体が。いや、腹ん中も当然、黒いんだと思うんだけど。これはカットしなくていいですよ。
山本:(笑)
星:だからそういう人で、ゴルフめちゃくちゃうまくてね。真っ黒なんですよ。
山本:いいですね。学生時代はじゃあ、周りがお坊ちゃんやとしたら、どんな遊び方してたんですか。
星:私は別にお坊ちゃんでもないし、お金もなかったから、金持ちと上手には遊んでましたけど、全部、金持ちのバカどもに金は出させてました。
山本:(笑)当時ってどんな遊びしたんですか。
星:やっぱり僕らの頃って、飲みに行くか、麻雀かですよね。
山本:僕の大学時代と一緒ですね。
星:僕は子どものときから麻雀については英才教育をされてきたんで。
山本:子どもの頃から?
星:うちは兄貴と弟がいて、男3人兄弟で。福島の実家でおやじが養鶏業をやって、鶏飼ってたんですよ。そこそこ10万羽とか20万羽だとか飼ってましたから。
山本:すげえ。
星:でも卵はもうからないですからね。
山本:10万羽もいたら儲かるんじゃないですか。
星:卵は経済の優等生でございますから。全然、上がらないんだから。だから儲からないんで、おやじは普通そうなると自分の子ども3人置いて、3人にやらせたいとかっていう方が多いじゃないですか。おやじは、俺の跡継ぎは1人でいい、3人一緒に絶対やるな、けんかの素だから。特に嫁がくっ付くと余計おかしくなるからなんていうことで、だから兄貴が継ぐから、僕と弟は、もうおまえらはサラリーマンにならなきゃいけないから。当時だから酒は強くなれ……。
山本:昭和っぽい、いいですね。
星:飲ませて酔わないように、自分は酔わないように。麻雀も接待できるぐらいに強くなれ。
山本:めっちゃ昔のおっちゃんっぽい。
星:ていうおやじ。
山本:いいですね。
星:だったんですよ。それはもうオープンです。たばこは害があるからって。自分は吸ってるんだけど。
山本:めっちゃ面白い。
星:それからおふくろの兄弟が、麻雀プロみたいな人が3人ぐらいいまして。弟が6人いた。おふくろ長女で、下に男の子6人、5人いたか、6人だったかな、そのうち3人、めっちゃくちゃ強かったんですよ。その人たちに麻雀を教わったんで、最初こうやってたら、配牌で持ってきたら、そこから動かすなって言われるでしょう。
山本:めっちゃこわい。
星:ぱっとそのままで。で、入れるのは右端、右利きだから右端の同じとこへずっとツモってこい。出すのはどこから出してもいい。その代わり、そろえるなって教わった。
山本:最初から?
星:最初から。
山本:めっちゃすごいな。
星:成蹊のときは、中に変なやつがいて、成蹊も大学のすぐそばに雀荘があって、ほとんど成蹊の学生ばかりいるんだけど、3人つるんでやるやついるわけですよ。
山本:嫌な手ですね。
星:通して、1人だけ別のやつ。
山本:むかつくな。
星:それ決まってるから、そこの雀荘のマスターが本当は、普通は自分が中に入ってやるわけ。そこにわざとね、やらせないように。星君なら勝てるかもしれないから……。
山本:うれしい。
星:……どれだけやってもいいから、今度やってみって。その頃まだ。
山本:手積み?
星:手積みだから。だからこっちも練習しましたから。
山本:桜井章一ですね。
星:大三元、四暗刻単騎とかって。それがもう、それにひどいと天和が加わるんだけど、すぐ逃げて回避して。
山本:それ、めっちゃ面白いな。
星:それで麻雀はその頃も自信あって、ずっと学生のときもやってて、結構、会社へ入って若いうちはやってましたね、やっぱり。だからひと月、麻雀で稼いで給料はいらなかったとか、大阪へ転勤で行って。
山本:当時の星さん、パチンコはなかったんですか。
星:パチンコはあまり好きじゃないからやらない、じっとしてられないのね、やっぱり。
山本:昔は麻雀がなんでそんなに流行ってたんですか。
星:なんでだろうね。本当に麻雀、多かったですよね。
山本:むっちゃ流行ってたんですね。
星:僕らの頃は、会社でももう皆さん、よく麻雀してましたね。
山本:ゴルフは流行ってなかったんですか。
星:まだまだゴルフは本当に金持ちの遊びですよ、当時は。
山本:会員権いりましたもんね。
星:会社に入って、しばらくたってからですもん。だから僕、ゴルフ始めたのは、会社入って5年で東京、11年目に大阪へ転勤になって、関西スーパーを担当した途端に、ゴルフさせられたの。
山本:なんでさせられたっていうのは。
星:関西スーパーさんと、うちと三菱、昔の菱食だね、菱食と帳合いのメーカーさんが集まって、ゴルフの大会とかやるわけですよ。で、関西スーパーさんが淡路島に保養所持ってて、そこへ行って泊まって、どんちゃん騒ぎして次の日ゴルフやってっていうのがあって、せっかくおまえ、うち担当なんだからゴルフぐらいやれということで。会があってそこへ行った途端、僕なんもゴルフの用意もしてないですよ、普通のシャツ着て、ワイシャツ着てるのに。その格好で1回やれとか言われて、いきなりネクタイだけ外して靴替えて、クラブ借りて。それが初めてですよ。
山本:でも取引先に言われたらやるしかないですね。
星:やるしかないです。それとその関西スーパーに、副社長で元税務署にいた人、尼崎の。
山本:税務署からの人。
星:税務署から当時の社長を引き抜いてきたの。優秀なおじさんなんですよ、めっちゃ頭いいの。今の関西スーパーのシステム、コンピューターのシステム作ったのはその人だから。それも富士通とかそういう会社の人呼んで、こういうふうにして、こうしてなんて口でだけしゃべるんですよ。自分はそんな設計図とか作れないから、でもこうやってこういうやつを作れとか言うわけですよ。頭ものすごいですよ、記憶力すごいですからね。僕あんな人、見たことないですよ。それもまた麻雀の話だけども、こう積むじゃないですか。対面にその人が座ってて、僕の積んだこの端っこから全部、当てるんですよ、積んでるのに。ここに何があるって分かってんの。こんな人たちに絶対、勝てるわけない、この人とだけはやらんとこ、とかいって。
山本:見てるってことですか。
星:いや、全部、だから大体、覚えちゃうんだよね。みんな人の手なんか読んでないですよ。捨てられると牌がどこに何があるか、こう見てるんですよ。それで、上手にこう持ってきて積んだり。だからとんでもない技巧、本当に。いきなり当たってるとかありましたけど。でも頭のいい人でしたよ。あと、ブラックジャックも好きでね。
山本:トランプの。
星:こうやっていくでしょう、ずっと。もう最後のほうは手札がなくなる……。
山本:覚えてるんや。
星:……手札がもう何と何しか残ってないとか、出てたやつ全部、覚えてるんですよ。何だこのおやじと思って。
山本:それ、すごいですね。
星:こんなおっさんに絶対、勝てないなと思って。その人がいくら、「星、俺と麻雀しろ」って言っても嫌だって言って。
山本:それはすごいですね、そんな人がおるんやな。マンガの世界ですね。
星:でもあれですよ、やっぱり一時期は関西のスーパーのドンでしたよ。ダイエーさんもニチイさんもみんな、地方本部長クラスはみんなそこへ行って、いろいろやってました。すごい人でしたね。
山本:それで卒業されて、最初はどこに入られたんですか。
星:いや、最初からですよ。北洋商事っていう菱食の前身です。北洋商事っていうのは三菱商事がニチロ、あけぼののサケの缶詰あるじゃないですか。
山本:ある。
星:サケ缶。
山本:めっちゃ昔に。
星:あれの内販をするために、国内向けに販売するために作った会社が、北洋商事っていうんですけどね。
山本:なんでそこに入ったんですか。
星:就職の課の、窓口の人に、この二つだったらまだ受けられるよ、みたいなことを言われて。だから一応、両方受けようかと思ったら、先に菱電商事が合格になったのね。で、最後までもうちょっと待ってもらって、北洋商事にも受かったから。どっちがいいかな、菱電ってなんか、いかにも三菱の子会社だし嫌だなとか思って。
山本:なんでなんですか。
星:北洋商事のほうが名前的にかっこいいじゃない、北洋だから。で、北洋商事っていう会社に一応、入ったわけです。そしたら、北洋商事だから海外勤務とかあると思うじゃない。そしたら海外に支店なかったの。商社じゃないんだ、問屋。俺、何の会社だか分からないで入った。

食品卸業界の重鎮の仕事は倉庫番からはじまった


山本:で、最初、入って何されたんですか。
星:最初は今、京浜急行の谷津坂という、能見台っていうのかな、そこに昔の湘南支店っていう。そこでもう倉庫番です。物流部で最初は。だから営業が売った商品を倉庫から出して、トラックに積んで、場合によっては一緒にトラックの助手席に入ってました。それを普通、湘南支店って最初は、先輩に大体、うちは湘南支店に行ったら担ぎ3年とか言われたの。
山本:長いな。
星:長いじゃないですか。それは8カ月で済んてしまったんです。1人、仕入れをしてるおじさんが、なんかちょっとノイローゼになって辞めたのがいて、じゃあ下から、倉庫から誰か上げろって、いろいろその頃からもう僕、言いたいことだけわーわー言ってたから、あいつうるさいからあいつにやらせろっていうことになって、仕入れやれって言われてそのまま。
山本:いいじゃないですか。
星:で、仕入れを1年ちょっとやって。
山本:仕入れだって、そんなすぐできるもんですか。結構、重要なポイントじゃないんですか。
星:でもだって、ただ値切って安く買うだけだし。
山本:でも一応は重要な仕事、任されたってことですね。
星:でやって、それも1年ちょっとで済ますんで、その後、営業ですわ。当時の湘南支店っていうのは、神奈川県の横浜から向こうですね。三浦半島、あとは湘南海岸、あっちのほうまで全部。僕、三浦海岸のほうの三浦半島のほうの担当だったから、ちょうどもう要はみんな小売業ですよ、小売店ですよ。昔のおじいちゃん、おばあちゃんのやってるちっちゃいお店だった。
山本:そういうのじゃあ、一個一個行って。
星:行って、物をちょっと売って、集金して。
山本:そう、集金もなんや。
星:当時、60〜70企業 ぐらいを担当して、20日締めと末締めって、月に2回ぐらい集金に行くわけですよ。
山本:車で回ってみたいな感じですか。
星:だーっと回って。そうすると、なかなか集金させてくれないんだよね。もう集金に行くと飯食えって始まる。作ったのは奥さんで。
山本:昔やな。
星:一晩に3回ぐらい晩飯食いに行ってたからね。食べないと集金できないからさ。そんなことやってました。
山本:その回収の極意みたいなやつありますか。
星:いやそれは、くれなかったところはなかったけど、本当に危なくて。昔なんて長い手形切りやがって、くそおやじ、こんな金受け取れないとかって言いながら集金しました。
山本:そんな小さいのに、パパママ、おじいちゃんさえも手形出してくるんですか。
星:そうですよ。
山本:値打ちないじゃないですか。
星:そういうところ、全部やってました。しばらくたってから少し大きな、当時でいうと10店舗のスーパーとかそういうところもいろいろやって、だんだん小さいところがなくなっていきますから。今なんか三浦海岸、岬のほうまでずっとこの前、行ってきたら、僕がやってた小売業って1軒もないですよ。
山本:寂しいな。
星:本当になくなっちゃって、みんな全部、見事に。もう大手のスーパーしかない。
山本:と、コンビニだけって感じですもんね。
星:もうコンビニね。1軒だけ三浦半島、岬でマグロ船の積む問屋みたいなのあった所が1軒、ファミリーマートになってた。顔出したらいたの。「おう」とか言って。向こう、覚えててくれてさ。
山本:めっちゃうれしいじゃないですか。何歳のときですか、星さんが。
星:僕、最初はあの辺、行ったのはまだ入ってすぐですから、20代でしょう。それでちょこっといて。それからずっと回って30年ぐらいたってからかな。行ったけどあれでしたよ、すごい覚えててくれて。
山本:それすごいな。それはめっちゃうれしいですね。
星:そうですね、覚えといてくれるだけでも。
山本:30年後の顔見て分かった。泣けますね。
星:本当にね。そんなこともありましたけど。それから湘南支店って神奈川に5年いて、それから東京に5年。東京ではもうスーパーさんばっかり。当時でいうと関東ユニー、つぶれた関東ニチイとか、そんなところを担当してましたね。

バックナンバー

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