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第一回北田正喜氏との対談

対談第一回 北田正喜氏 

北田氏対談1P目

第一回北田正喜氏との対談


山本 昌一氏(以下、山本):記念すべき初回の対談の相手になっていただいたの感謝してます。胸借りて、タメになる話をいろいろ聞かせてもらおうと思ってるので、よろしくお願いします。
北田 正喜氏(以下、北田氏):アパレル業界畑からの話だから参考になるかな。

山本:なりますなります。
北田 よかった。それにしても、在庫処分の会社さんなんて珍しいんじゃないですか。専門業者さんなんてあるんですかね。

山本:ちょこちょこあるみたいですね。ちょこちょこありますけど、僕らはほんまに自分らで言うてるのもあれやけど、1番じゃないですかね、今んところ。
北田:取り扱い量とかそういうあれで。

山本:規模とか、知名度とか。
北田:たいしたもんだ。

山本:まあまあです。まあまあ。アパレルで処分ってどうなんですか。
北田:何となく表にあんまり出てこない。でも、いいとこに目をつけられたって言ったら変だけど、どんなアパレルでも、アパレル以外の雑貨屋さんでも。

山本:在庫はありますね。
北田:在庫は経営の一番かかわるとこですからね。どうやって処分しようかってみんな思うわけでね。

山本:そうですね。思いますね。
北田:うまいことブランドイメージを壊さないようにしたいと思うし。だから、それをうまく解決する方法って、アウトレットも一つの方法ですけども、ファミリーセールとか、身内で売るのも方法だけど、でも限界があるんですよね。

山本:ありますね。うわー対談、こんな感じ。イメージしてたやつ。
北田:(笑)

「人脈の作り方」


山本:この企画の趣旨としては、ちゃんとした人にちゃんと話聞こうと思ったら、こういう企画をしたほうが全く関連性のない人に会えるかなと思って。全く関連性のない人に会うのって、結構、修行じゃないすか。
北田:突然はできないすよね。

山本:できない、できない。
北田:誰かが紹介がないとね。

山本:そうです。媒体さんに紹介してもらったりとか、あと、会い慣れてたら、どういうところ聞けばいいのか、わかってくると思うんで、今日とか僕、すごいつたないと思うんですけど、
北田:とんでもない。

山本:2年後ぐらいで結構(笑)、いろいろな人に会ってきたんやなと思われるような(笑)。 北田:どんどんイメージが、経験も積み重なってくし、年齢だけじゃなくてね。それはネットワーク広がることは絶対いいことですよ。

山本:いやあ、そうですね。
北田:意図的に広げようと思うタイプの人と、結果的にだんだん広がってくっていうのと二つあるんですよね、長くビジネスやってると。

山本:北田さん、どちらなんすか。
北田:僕なんかは結果的に広がってるほうですね。でも、僕はオーナー企業の代表でもないし、企業に属してるじゃないすか。そうすと、企業に属してると、与えられた職務って最初に決められちゃうから、自分で好きなとこやるわけじゃないでしょ。要するに企画会社は企画やるし、

山本:これやれって言われるってことですね。
北田:そういう中で、最後のほうはやや希望もあるかもしんないけど、普通はやっぱり営業系だとか企画系だとか生産だとか物流だとか、大きな会社ほど部門、分かれるんですよね。と、それ一気に違う職に変わることはなかなかないわけですよ。専門分野が深くなってくるから。そうすると、与えられた、大体範疇みたいな、で、そういうカテゴリでネットワークは広がっていく。だから、企画やってる人間は結局、生産会社とか原料メーカーとか工場とか商社とか、そういう広がりしてくるけど、逆に、例えば、小売業の外のネットワークとかはなかったりするし。だから、自分の範疇の広がりでだんだん広がっていく以上にやろうと思ったら、かなり意図的に動かないと広がらないですよね、やっぱり。普通の企業に属してると。

山本:でも、偉くなったり、年いけばいくほど、僕も20歳のときより40歳のほうが動かないんすよね、自分でわかるんすけど。これって、どう打破したらいいんですかね。
北田:それ、商売がうまくいってるからだね、それは。

山本:(笑)超面白い。
北田:うまくいってなかったら動かざるを得ないよ。

山本:めっちゃいいこと言うわ(笑)。
北田:うまくいってるからよ、それ。あと、ネットを広げる方法で、僕も若い、30代、40のときに自分で意図的にやったのは、他業種との懇親会とか、そういうネットワークがあるんですね。それ、大学時代の友人とか、自分と違う業界に行って勉強会をする。

山本:どんな勉強をするんですか。
北田:日本経済についてとか、そういう。

山本:じゃ、誰かが先生する感じですか。
北田:いや、ただのオープンなディスカッションみたいなやつ。役所のやつもいれば、民間の人もいれば、いろいろで。友達が面白そうなやつを呼んできて、そうやって人数だんだん増えてきて。議題によっては、そのときの議題の得意な分野っているからね。

山本:そうですね、いますね。
北田:それはそれで、その日はそいつが中心になって話をしたりしながら、じゃ、どう思う?って。僕が例えばアパレルいたら、全然政治のことなんか日常的に関係ないけども、意見は言うとか、それは友達仲間だから自由じゃないすか。

山本:確かに(笑)。
北田:別にそれが公式にどっかへ出るわけじゃないから。だから、外務省のやつもいれば、経団連のやつもいたり、そういう役所関係もいれば、いわゆる民間企業の人間もいたり、それも営業系もいたり、いろいろ。そういうのやったり、あと、もう一つ、ちょっとお金かかるけども、そういうクラブみたいな、あるんですね。

山本:ん?クラブ?
北田:クラブみたいな、講演会を聞きに行ける、年会費払って先生の講演会を聞きながら、終わったあとパーティーがあって、その参加者がみんな懇親やるっていう。

山本:へー。じゃあその先生はじゃあ、偉い人なわけ?偉いというか、
北田:面白い、テーマによって。例えば、昔は日中貿易摩擦とかだったらそういう専門の先生呼んできたりして、その人の講演1時間ぐらい聞いて、その先生も入って懇親会。そうすると、そのときに名刺交換、ばらばらなるわけです。全員知らないから、お互いに。そこで名刺交換して、ちょっとお酒も飲みながら、立食だけど、ちゃんとそれを運営してる会社があるのよね、そういう。年会費、入会金ちょっと払って、講演会を聞く。

山本:何てとこなんすか。
北田:それ、いろいろありますよ。

山本:まじですか。
北田:うん。いろんなのがある。結構、そういうのって、社長みたいなオーナー系の人が多いんすね。要するにネットワークのない人が多いんですよ。

山本:ないない。全然ない(笑)。
北田:だから、そういうとこ行って外の勉強をしたり、いろんな業種とつき合いたい。きっかけを作る。そういうのは入ったら面白いかも。

山本:ある意味、強制的にやらんとだめってことですよね。
北田:そうそう。したら、必ずご案内くるから、2カ月とか3カ月に1回、講演会があったり、パーティーがあったり、あるんです。僕は仕事で、それに入ったんだけど、誘われて。なかなか行けなくなった。それになるともったいない、お金だけ払ってる状態。だから、まめに来てる人は必ず行ってる人もいますよね。それで結構広げて、それでビジネスも広げてく人もいるし。それ、オーナー系の人はビジネス広がりやすいから。僕らは企業に勤めてると、別にその人と会ったからといって、その人に何か頼もうかと思わないじゃない。

山本:確かに、オーナー系だけは何となくわかりますね。
北田:オーナー系は仕事の糸口つかもうみたいな。

山本:ちょっとがつがつしますね(笑)。
北田:で、がつがつ。特に若いオーナー系は特に範囲が狭いから、つき合ってる範囲が同じ業種しかないと知れてるから全然違う。それと知り合い。それ、金融系もあれば、いろんなメーカー系もある。いろんなとこと。

山本:考えますわ。広げる、広げる。
北田:どことは言えないけど、結構ありますよ。

山本:まじですか、わかりました。
北田:あとは、地域はライオンズクラブだとか。

山本:それはちょっと遠慮しときます。余裕ないんで。
北田:講演会向きかな。

山本:そうそう。

「未来の社長、仕事との出会い」

第一回北田正喜氏との対談


山本:今日は一応、僕、よくこうやって飲み会とか、海外に旅行行ったときに、一緒に例えば車で移動したりするじゃないですか。そしたら普通に2時間とかなるじゃないですか。
北田:車で移動してる間?

山本:車で移動してるとき、2時間とか3時間とかなったりするときに、結構、18歳ぐらいからどういう感じで仕事してたんですかって聞いたりするんけど、それ聞いていいですか。
北田:ああ、一緒に居合わせた人にそれ聞くってこと?

山本:そうです。よく聞くんですよね。で、まず、大学はどちらいかれたんですか。
北田:僕は法政ですね。法政大学。法学部。

山本:どんな大学生活?遊んでたんですか。
北田:意外とバイトしたり、部活っていうか、サークルみたいなのはありましたけど、僕は割と、いわゆる体育会の部活に4年間いたことはないんですよ。そういうのはやってないんすよね。

山本:めちゃ、でも、体は強そうですけどね。
北田:そうそう、結構強いよ、体は。体力もあるし。

山本:いいすね。健康が一番。
北田:テニスを中学高校とやってたんで、ラグビーとかアメフトと言われるんだけど、実はテニスなんだ。中学高校でやってたんで、大学はテニス部に入ったわけじゃないんだけども、そういうのを好きな人が集まってやる。今で言うサークルみたいなのをやってみたり、あと、住んでたとこの地域の草野球のチームに入ってみたり、運動系は好きですね。あと、3、4年の頃はゼミって大学にはあるじゃないですか。僕は憲法。日本国憲法ね。空手の、こっちの拳法じゃなくて。コンスティチューションのほうも、

山本:コンスティチューション。
北田:コンスティチューションの憲法ゼミなんかやってたので、そういうので結構勉強しました。そういうので、当時は基本的人権の中でもいろいろ生存権とか何々権ってあるでしょ。その中で僕は研究までいかないけど、医療権っていって、医療。お医者さんのね。医療にかかわる基本的人権っていうのをテーマに2年間やって。

山本:全然商売と違いますね。
北田:全然関係ないですよ。それは医療事故が結構あったりすると、患者の手術してハサミをおなかの中に置き忘れたりさ。そういう医療事故があって、結構、患者が苦しい目に遭ってたんですよ。医療権っていうのを考えてやってたりしましたね。それはゼミ活動。だから、いわゆる大学授業とは違うゼミ活動と運動系のサークルとかを中心にやってて。あと、大学1年ときは沖縄で平和を考える会とか、沖縄に行ってね。1972年に沖縄が日本に返還されて、まだそんなにたってないわけだ。そうすると、米軍の基地跡とか、そういうのがたくさん沖縄には問題があって、それの勉強しに行ったり。結構、だからまじめにやってた部分と、バイトと遊び。

山本:しっかり遊ばんとね、学生は。
北田:そう。そういう学生生活だったですね。だから、民間企業に入るつもりはあんまなかった。

山本:民間。
北田:こういう会社に。民間の企業に入るつもりはあんまなかった。

山本:じゃ、最初に就職したのはどこなんですか。当時、3年から就活ですよね。
北田:いや、僕らのとき4年からで、僕は民間企業に入るつもりはあんまなかったんで、大学4年の10月までは何にもしてなかった。

山本:(笑)、むっちゃぎりぎりやん。
北田:で、10月の第1週に説明会。当時、解禁日が4年生の10月だったんですよ、当時ね。

山本:4年の10月って、もうあれやん。
北田:決まってる人はいるわけよ。でも、オフィシャルには4年の10月だった、当時は。その日まで何も動いてなくて、就職部も何も相談に行かずに、よく覚えてるね。あなた、どうするんですかって。

山本:(笑)
北田:行かなかった、めんどくさいからね。そういうとこ行って紹介されてもしょうがないし。適当に入ってもしょうがないから。で、たまたませっかくだからどっか何社か受けてみようかなとなって、家に案内がいっぱいくるわけよね、企業から。そういう会社説明会やりますよって、昔はハガキだから。インターネットがないからハガキがくる時代なんで、じゃ、ハガキいっぱい来てんのを並べて、どっか知ってる会社、どっかあるかなと思いながら、ちょっとそこであったのはファッションに興味があったってのが若干あったので、それで、ダーバンという会社に、説明会に10月の1週に行ったっていうのがきっかけですよね。それで、当時は上場してまもなくだったから、1000人、2000人の人が受けに来てて、受かったの、14、5人しか受かんないけど、すごい競争は激しかったんだけども、なぜか受かったわけ。1次、2次、3次ときて。で、受かったあともいくかいかないかは迷ったんですよね、ずっと。本当にいっていいのかなと。たくさん入りたくて来てる人と、たまたま受けてみたら入っちゃったみたいなのがあったので。で、結局、親族とかにも相談して、せっかく受かったんだから、まず働いてみればっていうので。そんなに、だから積極的にファッション業界にいきたくて、いろんな会社受けましたっていうタイプじゃないんだよ。

山本:じゃあもう、1発目で。
北田:そうそう。

山本:へー、完璧ですね。
北田:いえ、たまたまね。だから、面接試験で落ちたこと、今まで1回もないんだ。受けてないから。

山本:(笑)
北田:受けなきゃ落ちないから。

山本:そりゃそう。じゃあ、ダーバンで最初はどんな仕事したんですか。
北田:営業よ。もちろん営業から始まる人も、企画で始まる人も。

山本:最初から企画っているんですか。
北田:います。当時はね。販売から始まる人もいるし。アパレルってのはものを企画、生産して、それからそれを仕入れて売って販売。売るってのは販売するとか、直接お客様に売るっていう小売り的なところと、ホールセールって卸先に、専門的に卸売するっていうのと、二通り小売りがあるんだけど、専門店部隊で、そういう専門店さん相手で売るか。これ、販売じゃないけどね。販売っていうか、直接接客じゃないけど。片方は百貨店とかのショップとか、そういうとこで一般消費者に販売する。両方あって。僕は百貨店の部隊にたまたま配属があったんで、営業といっても専門店さんの卸売じゃなくて、いわゆる百貨店相手の商売を最初、始めたんですね。ダーバンっていう会社はスーツの会社としては比較的、その当時有名なってたので。

山本:いや、めっちゃ有名でしょ(笑)。
北田:なんですけども、僕がやったのは、ダーバン社の中のダーバンブランドってスーツじゃなくて、まだ始めたばっかりのカジュアルウェアのブランドをそのあと作ったわけですよね。スーツだけでなくて。そういう新しいカジュアルブランドの担当営業マンとして都内。東京だったんで、本社が。もちろん、関西も。全国でやってるけども、僕は東京の管轄の東京都内の営業として、今で言う西武とか伊勢丹とか、新宿とか池袋とか、こういうとこを担当してたわけ。だから、それがスタートですね。基本的に、そっから長くなるけども、そっからは営業をやってて、何年かやったあと、今度、企画に移って。で、今度、MDっていう。マーチャンダイザー。

山本:営業から企画に移るときは上から言われるんすか。もうそろそろ企画へいきなさいみたいな感じで。
北田:いや、全員がそんなんじゃなくて、ずうっと営業の人もいるし、企画に異動する人は意外と当時、少なかったね。

山本:そりゃそうですよね。営業、だってお客さん持ってるから、大体そのままやれって話になりますよね。
北田:たまたま私の上司がどういう判断だったかわからないけども、企画をやってみろって言われて。

山本:それ、結構自分の中で転機ですか。
北田:興味はありましたよね。営業やりながら、商品を売ってくじゃないすか。でも、商品の問題点は自分でわかるでしょ。

山本:むっちゃわかりますね(笑)。
北田:ただ、製品のデザインのことはあんまり言わないけども、品質だとか納期とか。

山本:納期は?
北田:本当に欲しい時期に入ってこないとか。

山本:当時って、全部国内生産ですか。
北田:いや、海外ももちろんあります。カジュアルウェアの場合はね。ダーバンのスーツの場合は日本に工場持ってるし、いわゆるメイドジャパンだけども、カジュアルってのはTシャツとかポロシャツとか、そういうのもあるから、要するに、それは当時は台湾とか韓国とか、あとは中国本土はまだ開放されてない時代だから。

山本:開放って何なんですか。
北田:改革開放っていうか、鄧小平がやった、要するに日本からの資本を受け入れるのは、あとなんですよね。

山本:すごい。歴史を感じるなあ(笑)。
北田:国交の正常化はしてたかもしれないけども、開放政策にならないと、それは勝手にできないわけよね。

山本:ああ、で、海外行って。
北田:だから台湾、中心は。台湾とか韓国。が多かったね。だんだんもちろんインドネシアとかフィリピンとか増えていくんだけど、中国はもう少しあと。だから、企画としては。

山本:もう少しあとっていうのが歴史感じる(笑)。
北田:そう、時代的にはね。だから面白かったですよ。ものを企画するっていうのは、その会社だけでできないじゃないすか。商社の人に手伝ってもらったり、メーカーさんがあったり、工場さんがあったり、われわれが買う側、仕入れる側ね。百貨店とかは商売のときは、こっちが売る側だよね。買ってもらわなきゃいけない。だから、売る側と買う側の仕事、二つ経験するって、非常に貴重な経験だったんです。大体、どっちかしかやんないから、大きな会社にいると。ずうっと企画畑歩む人と、ずっと営業畑。僕は両方やったんで、それは非常に後々といいことだったんですね。

「失敗しない」

第一回北田正喜氏との対談


山本:そのときに北田さんがした失敗とかあります?いっぱいあると思うんですけど(笑)。
北田:若いときは失敗を積み重ねることも重要なことだからね。

山本:数千万レベルの損失とか(笑)。
北田:会社に大きな損失を与えたってことはないな、そういう失敗は。ちっちゃい失敗はありますよ。でも、大きな損失を与えたことはないな。

山本:自分の中で一番これはミスったなっての、思い出あります?
北田:あんまりないんだけど、俺。

山本:すごいすね(笑)。スーパーできる感じですね。
北田:いやいや、自分で言うのもあれだけど、割と成功。時代もよかったんですけどね。成長期だったからというのもあるけども、営業のときも予算を達成してたし、企画いっても商品改善して売り上げ上がってたし、ずうっとよかったんです。

山本:へー、すごい。
北田:時代背景がよかった。

山本:それは社長になりますね。(笑)
北田:時代背景がよかったっていうのが、多分ありますね。それで企画やってて、海外駐在の話があってアメリカに行ったっていうのが34歳ぐらい。

山本:それ、何でアメリカに行ったんですか。
北田:アメリカでちょうど僕が企画してるブランドが展開を始めてたのね、既に。で、2、3年やってたけど、なかなかうまくいってなかったわけよ、アメリカで。それで日本から駐在員が1人ぐらいしか行ってなくて、現地の人間に任して。

山本:それ、ガッツがある感じだから。
北田:やってたんだけども、何人か行ったらいいって候補者もいた中で声がかかって。

山本:しゃべれるんですか。
北田:いわゆる大卒程度ってやつだよ、だから。

山本:当時は。
北田:行くって決まってから慌てて勉強しに行って。

山本:(笑)
北田:その程度です。

山本:当時、どうやって勉強するんですか。
北田:当時も今と全く同じで、だから、僕が行く、決まったあと、前3カ月間余裕があったんで、駐在するまで。日本のいわゆる語学学校にマンツーマンやってる学校に通って、3カ月ぐらい。そんなの役に立たないよ。

山本:(笑)
北田:気持ちの問題よ。やっただけで。現地行かないと何も身につかない。

山本:結婚は?
北田:してたけどね。

山本:じゃ、一緒に行くってなったんですか。
北田:最終的にはね。最初、単身で行って、途中から家族呼び寄せるって話だったですけども、

山本:家族大変や。
北田:ロサンゼルスね。

山本:家族間の調整とかは大丈夫やったんすか。
北田:全然文句はないすね。

山本:子どもさんは?
北田:息子はそのときには長男がいて、2人目が生まれたばっかりぐらいかな、まだね。

山本:じゃ、パパがアメリカ行くから、いるから一緒に行こうみたいな感じで。
北田:子どもはついてくるだけだから。

山本:いや、それでもすごいすね。
北田:子どもはついてくるしかないから。僕は海外に駐在することに対して全然抵抗がなかったんですよ。ほかのやつは海外行きたくないとかいう人もいるじゃないすか。僕は別に英語は特別習ったこともないけども、大学時代もたまたまアメリカ人の友達がいたりして、いずれ英語しゃべれるようになりたいなあと思ってた。それはそれで仕事始まって、それ勉強したわけじゃないんだけど。で、おじきに、もう亡くなったおじきだけど、僕は大阪出身なんですけども、何で法政いったかっていうのも、関西も大学いっぱいあるんだけど、東京で住まないと日本は見えないって言われた。

山本:住まないとね。
北田:そう。そこにいなきゃだめ。大阪にずっといて、関西にいたら日本は見えないって言われた。

山本:それ、わかりますね。
北田:で、東京にずっといたら世界は見えないって言われた。

山本:(笑)
北田:1回、海外へ行かないと。

山本:めっちゃおもろいな。
北田:で、海外に住んでみないと世界見えないよって言われてたの、学生のときから。

山本:これは行きたがりはりますね。
北田:だから、いつか必ずどっか海外に住んでやろうって。住む機会があれば行きたいなと思ってたのね、漫然とよ。それをずっと狙って会社に海外行きたい、行きたいって出してたわけじゃないんだけど、たまたまそういうのが巡ってきたわけ。だったら、それは別に断る理由全くないので、行ってみましょうってこと。で、行ってやった仕事は、向こう行きゃ、ちっちゃい会社なわけですね。日本では大きな会社だけど。だから、何でもしなきゃいけないもんなの、要は。ヘッドオフィスも10人ちょっとしかいなかったりして。

山本:英語わからんのに全部やれって感じですか。
北田:そう。現地の社長もいて、もちろん営業もいたりするんですよ。でも、大きな部門があるほど人もいないし、僕がそのときやったのは、いわゆる仕入れ担当みたいなパーチェスマネジャーっていうか、バイヤー。そういう仕事ね。

山本:仕入れは?
北田:仕入れ担当。

山本:日本からですか、その場合は。
北田:いろんなとこから。日本からも入れるし。

山本:台湾からも入れる。
北田:台湾、香港とか、そういうとこ入れるし、アメリカからも仕入れるし。それは自分でコーディネートして決める。

山本:小売店ですか、アメリカ。
北田:そうそう、小売店。

山本:やってたんですか。
北田:そうです。百貨店の卸しじゃないから。

山本:それ、めっちゃ大変ですね。
北田:路面店を20店舗ぐらい展開してた。

山本:じゃあ、ダーバン社がアメリカで小売店をやろうぜっていって始めたんすか。
北田:そう、もともとね。

山本:めちゃめちゃ大変。
北田:インショップをやってたわけだ。要するに、路面はやってなかったけども、アメリカの場合は百貨店の中にショップとかなかなか、当時は専門店のほうが強いわけよね、要は。で、今で言うショッピングセンターってのがしっかりあったわけ、アメリカには。

山本:既に。
北田:そうそう。日本ではだいぶあとになってからできたけど。でも、日本のまだショッピングセンターはリージョナル型ってなってないんだ。リージョナル型ってのは、総合型ショッピングセンターってのが、アメリカには基幹百貨店が二つぐらい中に入ってて。百貨店だったよ、スーパーじゃなくて。百貨店が中に入ってて。

山本:ショッピングセンターに百貨店が入ってる?
北田:そうそう。入ってて、その間である専門店はラグジュアリークラスも、いっぱい入ってるわけ。要するに、安いもんだけじゃないの。日本は都市型の、小売りっちゅうのは百貨店がすごい立派で強いから、そこに集まるわけよ。

山本:お客さんが。
北田:そう。日本の場合はね。海外の場合は、そういう単店の百貨店で、いわゆる百貨、全店を扱えるような大きさのもの、なかなかないの。だから、車社会だから、特に私がいたロサンゼルスはサンフランシスコ、サンディエゴを含めて西海岸ってのは車社会なんで、ニューヨークは若干違うんだけど。全米から言うと、基本、車社会で、ショッピングセンターがどんどん発達した。最終的にそういうやり方を日本もあとで取り入れるんだけど。でも、そういう時代だから、ショッピングセンターの中でインショップか路面店という展開しかない。

山本:なるほどね。
北田:それで20店舗ぐらい西海岸で出店で、行ったときは赤字だったから、それ、10店舗ぐらい閉めて、新しい店出して、そういうスクラップアンドビルドとかをやりながら、小売り的なノウハウも勉強できたっていうのが一番大きいんですね。

山本:最終的にはどうなったんですか、その会社は。
北田:いや、1年半ぐらいで黒字化しましたよ。

山本:へー。おめでとうございます。(拍手)
北田:そういうのが自分のキャリアとして、それはそれで大変だったです、最初の1年目は特に。

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松見 充康氏対談 第二回対談
尾井 善雄氏対談 第三回対談
星 正壽氏との対談 第四回星正壽氏との対談