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第一回北田正喜氏との対談

対談第一回 北田正喜氏 

北田氏対談2P目

「アメリカだからこそ経験した苦労」

第一回北田正喜氏との対談


山本:アメリカに行って大変やったことって、何かあります?苦労したことって。
北田:会社自身が大きくないから、アメリカ人にとってダーバンとか言っても、誰も知らないわけ。日本にいたら上場してるし、それなりに得意先もそれ認めてくれてるから、最初から。だから、会社の看板があって商売ができたわけね。アメリカ行ったら誰も知らない日本人だ、要は。何の実績もない。そこにいるスタッフを、経験者が集まってるスタッフと夢を語りながら、一個一個将来は大きくしようと。全米に広げていこうみたいな夢を語りながら、一つ一つ物流もやんなきゃいけない。システムもやんなきゃいけない。モノも仕入れなきゃいけない。

山本:所属は上場会社やけど、中小企業みたいな感覚?
北田:いや、ちっちゃい会社で、掃除から経営までやるみたいな。これは本社にずっといたら経験できないことなんですね。

山本:そこでは、出向っちゅうのは僕、オーナー社長なんでわかってないすけど、副社長みたいな感じで入るんですか。
北田:いや、課長クラスだったね。33、4だし。

山本:そこの社長との関係ってどうなるんやろ。
北田:関係は、社長はアメリカ人にやらしてるんだけど、結局、その彼の組織で言うと10人ぐらいしかヘッドオフィスにはいない。店舗はいるよ、人がたくさんいるけども、その中で言うと、その人が上司になるんだけども、でも、俺、お目付けみたいなもんだ、日本から来てる。

山本:なるほど。じゃ、向こうにしたらウザい会社なんすか。
北田:そりゃあ、だって、親会社から日本人がチェックに1人入ってるようなもんだから。

山本:嫌ですね(笑)、うん。
北田:そりゃ、こっちに気を使うし。でも、そういうのも最初だけで、本当に一緒になれる仲間だってことになってこないといい仕事できない。

山本:いやあ、そうですよね。
北田:お目付け役だけで行く駐在員はだめなんだ。そういうやつ、日本の企業多かったから、当時はね、まだいい時代だから。要するに、日本から来る出張者のアテンドばっかりしたりさ。日本人向けのアテンド役っていっぱいいるわけ、駐在員。実際に現地の仕事は自分はしない。しょっちゅう人が来るわけだから。
山本:アテンダーですね。
北田:アテンダーよ。飯連れてったり、ゴルフ連れてったり。

山本:それ、お金生まないすね。
北田:僕はそういうの、一切やらないつったの。もちろん、来たらご飯も食べるけども、それが仕事じゃないから。この会社をアメリカで成功させることが仕事だから。

山本:そうすね。おっしゃるとおり。
北田:ということで、アメリカ人と一緒に議論もしながら、ケンカもしながら、一つ一つ解決していくわけです。そのときの濃密な2年間ぐらいがあって、それがあとの僕の企業人生にとって、ものすごく強い影響を与えてる。

山本:アメリカの仕事でうまくいかなかったことってのは何があります? 北田:最終的にはうまくいったよ。でも、最初うまくいかないのは、すべてうまくできてない。

山本:日本式じゃないってことですか。それとも、効率的じゃないってことですか。
北田:日本式でもアメリカ式でも、どちらでもあんまり関係ないと思うんだけど、やり方が決まってるわけよね。マーケットに対して商売するから、マーケットに自分たちのブランドがちゃんと受け入れられるためには何が必要かってことを考えなきゃいけないわけです。

山本:それって、北田さんがマーケットを理解してないとできないじゃないですか。
北田:そう、それをアメリカ人のスタッフと一緒に議論しながら、じゃあ、どんな商品、例えば、サイズ一つ取ってみても、日本で作った商品そのまま持ってきても、サイズが合わないじゃない。サイズの問題、大きさも違うし。そういうのもあるし、好みの色も違うかもしんないし。やっぱり買い方も違うかもしれない。

山本:サイズって、例えば、日本のLLと向こうのLLと違うんですか。
北田:全然違います。

山本:具体的にどう違うんすか。
北田:今、インポートの商品、日本でたくさん売ってると思いますけども、骨格、体型がもともと違うから。Tシャツとか、そういうものはさほど、大小でいけるけども、こういう上着とかそうなったら、きちっとした作り方から変えなきゃできないからね、要は。適当にちょっと大きくすりゃいいってわけじゃないわけです。グレーディングってのは。そういうのがあって、どう違うかって言われりゃ、骨格は基本的に二回りぐらい違う。

山本:じゃ、Lでも向こうのLは二つぐらい大きい?
北田:私は日本ではXLとか着るけども、向こうでは普通のMサイズです。

山本:本当ですか。ええー。
北田:うん。ジャケットだったり。

山本:それは、サイズ違いますね。
北田:アメリカの場合は、白人ばっかじゃないじゃないですか。だからサイズの幅が広がるわけ、基本的に。だから日本人みたいな人もたくさんいるわけだから、アジアの、中国系も韓国系もいれば、白人の2メートルのやつもいれば。

山本:(笑)
北田:こんなやつもいれば、もうすごいわけよ、女の子でも。じゃあどこまで対応するの?ね、サイズたくさん作りゃ作るだけロスも増えるわけで、どこまで対応するの?とかいうのは、やっぱアメリカで成功してるブランドとかを参考にしながらとか、そういう規格を作り直したり、それを日本の規格に、日本からやってる規格を買うんだったら、ちゃんと日本側に説明して作らさなきゃいけないわけ。でもロットが日本ほどは最初大きくないと、たくさん作れないじゃないですか。

山本:いきなり作れないですね。
北田:だからちょっとずつサイズ変えていくのって結構大変になってくる。そういうのは、日本人がいるほうが日本の規格、説得したりできるわけよ。アメリカ人がオーダーしてこうやってLLサイズいくつ作ってくれって、日本は作れないとか言うわけよ。こんなの10枚や20枚作れませんって。

山本:(笑)
北田:でも僕は日本の企画営業にいたから、営業もしてるから、わかるわけね、そういうのが。

山本:なるほどね、これはできるだろうと。
北田:だからアメリカのマーケットに合う商材を作ってあげる、それをやることによってアメリカ人の営業関係はみんな信頼を増すわけよ。北田さんのやってくれたオーダーと品ぞろえは売れると。要は信頼を作ってることになる。

山本:それはうれしいですね。
北田:それができないと信頼できないから。

山本:売れた瞬間、うれしいな。
北田:こいつ何しに日本から来てるんだってことだから、要は。ね、ろくに英語もしゃべれないで、ね?

山本:(笑)
北田:ろくに英語もしゃべれないで、多分、自分たちよりたくさん給料もらってんだみたいな話だから。

山本:あ、ほんまですね。
北田:そらそうだよ。

山本:そう思われるわ。
北田:そう思うとやっぱり、こいつは仕事できるって思わせなきゃ、証明しなきゃだめ。

山本:それは英語できへんのに、どうやってコミュニケーション取られるんすか。もう片言ですか、通訳使いますか。
北田:英語できるようになるんだよ、もう半年もいれば。

山本:(笑)気合いで?
北田:仕事だから、特に。プライベートなら会話は難しいよ。宗教とか政治とかいったらなかなかできないけど、仕事のことって決まってるからさ。

山本:ああ、なるほど。しかも重要やしね。
北田:同じことを話をしてるから、それはわかり合えるの、比較的早く。だから飲みに行って政治の話だと、政治っていわれたら、うーん、共和党と民主党と(笑)とか、なかなかわかんないけど。宗教もカソリックとプロテスタントといわれても何だかわかんないよ。1年もするとそういうことも少しわかってくるし、やっぱ議論もしたりするけども、最初、仕事の話題だけは英語、覚えるよね、3カ月かそこらで、半年でも。そうすると、最初の頃はでも、これ余談ですけど、最初はいきなり行くと会議とかでしょ?僕もぽんと入るじゃない、でも何にもわかんない。

山本:(笑)わかんないんだ。
北田:そんで、北田、意見ありますかって言われて、意見があるもないも、その何言ってるかわかんないから。

山本:(笑)
北田:ただ2回目、僕は読めるし書けると。ね、読めるし書ける。

山本:あ、読めるし書けるんですか。
北田:当たり前や、それは普通やんか。

山本:え、それは、なかなかいません。僕、読めないし、書けない。
北田:辞書引いてもできるじゃないよ、そのぐらいのことは。

山本:(笑)やっぱそうか。
北田:それはその努力次第や。

山本:はい。
北田:でも、しゃべる、聞くっていうのは、これは慣れないとできないのよ。だから僕は読めるし書けるから、事前にテーマくださいって言ったわけ、来週から。そしたらそれ、ちゃんと意見を自分で書いてみんなに渡しますって。ね、でも議論は参加できないよ、最初のうちは。

山本:なるほど。
北田:そうしてるうちに、この人はどんな人かってわかってもらわなきゃいけないの。でも、そう、どんな考えを持って、彼らの、僕も経験上そうだけど、やっぱり自分の意思をはっきり伝えることが非常に重要なんで、黙ってると考えがないと思われちゃう。

山本:アメリカは。
北田:そう、やっぱ言わなきゃだめなんだよね。だから、もちろん言う、最終的には中身の問題だけども、まず意思表示をするってことは重要なことなのね、企業の中で、特に。だからそれぞれ営業の人、企画の人、製造、いるじゃない、セール系の人って、それぞれいるわけだから。

山本:はい、います、います。
北田:それは立場があってそれでやってるわけだから、マネジャーミーティングってのは、マネジャーの人、1人か2人しかいないけど、アメリカでも、ちっちゃいボスもいるわけだから、ちゃんとそのチームの代表してる、ファイナンスの人はファイナンスのね。

山本:わかり合うためには、やっぱり一緒に仕事するしかないって僕は思ってて。やっぱりそうやって仕事してる間に、最初は何か日本から来たぞって思われてた北田さんが、だから当然正論で成果のあることをやって、で、いい商品を向こうから引っ張ってくるとかをやってたら、当然。
北田:だんだん信用されて、信頼されてくる。

山本:仲よくなっていったってことで。
北田:そう。だから日本でうまくできなくなったら、アメリカで探して作ったり、自分で香港行って工場探してきたり。アメリカの会社としての立ち位置で攻めて動きだすわけね。そうすると、その取引高はまだ小さいけども、日本時代のネットワークがあるから香港の会社なんかも、じゃあアメリカ向けに作りましょうと言ってくれたり、そう動かしていくわけよ、そうやって。そういうのって仕事の若いときの面白みだよね、ダイナミックだもん。

山本:当時、アメリカで、香港から仕入れてるとこなんかないんじゃないですか。
北田:いや、あるよ、そんなもん。

山本:あるんすか。
北田:うん。当時は、中国はないから、さっき言ったように。中国本土からはないからね。

山本:一遍、香港に入れてから。
北田:いやいや、香港に入れてからって、中国がないから、工場が。当時、中国で生産してないから、どこも、まだ。

山本:じゃあ農業ですか。ずっと何やってんですか、あの人たち。農業ですか。
北田:中国ってのは、外国向けのそういう工場とかやってなかったの。国交がまずないし。中国ってのは、さっき言った開放政策になるまでは、別に海外と商売してないのよ。

山本:ええ?全く?
北田:もちろん、もちろん。

山本:えー、鎖国ですね(笑)。
北田:そうだよ。だから四人組とか、中国の詳しいことわかんないけども、やっぱり凄惨な事件がたくさんあったり、要するにその共産党は一党主義、毛沢東の時代のいいことと悪いこと両方あるわけですね、要は。だから今みたいな経済力ないし。

山本:知らなかった。
北田:そういう大変な時代だったわけ。日本とかアメリカは香港からものを仕入れてるわけ。香港は結構ちっちゃい国だけども工場がたくさんあって、いいものを作るし。だからそういう意味ではアメリカのときに、その、要は仕入れ担当というかパーチェスを担当すると、いろんな国々から仕入れたやつ、アメリカで売れるものをやっていく。だからセールス、営業はやってなかったの。営業はさすがにできないんだよね。 男性B じゃあMDですか。
北田:MDっていうか仕入れ担当、まあ両方だね。企画はしないから。

山本:仕入れって、かなり重要な部門じゃないっすか。
北田:そう、在庫が残るか残らないかとか、いくら買ったらいいかとかね。

山本:来ていきなり仕入れやったんですか、当時。
北田:そうそう。

山本:じゃあ、もうあれですね。
北田:それはブランドごとは企画の責任者がやってたから。一番そのブランドごとの、一番、俺は語れるわけよ。日本では、こういうふうに考えてやったけど、ね。で、アメリカではこれが合ってないとかっていう差がわかるわけ。

山本:当時、何かライバルの店とかあったんですか。
北田:ライバルの店っていうか、アメリカで?

山本:そう、その事業入ったときに、こいつが、とか、ここはお手本にしようとか何かあったんですか。
北田:それは意外とないんだよね。

山本:なかった?
北田:うん。新しいことやってたから、割と。ダーバンじゃないんだよ。それはカジュアルなブランドなんで、当時はイクシーズっていうね。

山本:ああ、はいはい。
北田:イクシーズっていうブランドをやってたんで。ほかに同じようなもんはなかったの。で、あとで、ちょうどギャップが変わった頃で、そういうのがやっと芽を吹きだしてくるのが90年ぐらいなのね。日本がバブルのとき。

山本:日本がバブルのときアメリカにいたっちゅうのは、ちょっとキツいあれですね、日本が何か景気よくやってるのにってなりますね。
北田:そうそう、そんとき俺はアメリカで苦労したの。

山本:(笑)みんなが浮かれてるのに。
北田:そうそう、戻ったときにはバブル崩壊みたいな。

山本:(笑)
北田:もう崩壊で日本が大変になったんで、戻ってこいって言われて戻ったわけ。アメリカはもう大丈夫だろうって話になったんで。

山本:アメリカは、家族でみんなで行って、家族で戻ってきたんすよね。アメリカって、休日は何して遊ぶんですか。
北田:いや、子どもがいたからもう。単身のときは特にあれだったけど、まだ慣れないからね。で、車の免許も取らなきゃいけないし、環境整って、家族を呼んだときにはもう家もちゃんと手配できて、車も免許取ってたし、動けるようにしてたから。そしたら毎週子ども連れて遊びに行って。

山本:どんなとこ行くんですかね。
北田:いくらでもあるよ。

山本:遊園地とかですか。
北田:そうそう。

山本:公園とか。
北田:もちろん公園もあるし。僕がいたのはカリフォルニアのロサンゼルスだから、サンタモニカビーチもあればディズニーランドもあればナパバレーも、いろんなとこありますよ。

山本:そうなんすね。
北田:だから毎週どっかへ行くっていうのはアメリカ時代の習慣ですかね。日本に帰ってもそれを続けたけど。週末はどっかに連れてくっていうのは、もう癖付いちゃったから。それから週末休むっていうのも癖付いた。日本にいたときは独り者だったし、割と土日も出てるし、もうほとんど土日も休まないし、休まない人だったの、割と若いとき。でも家族できてアメリカに駐在してから、土日はちゃんと休んで家族との時間を過ごすっていうのが、やっぱり大事だなっていうのは、本当に感じましたね。だからウィークエンドの前、金曜日にはみんな、会社終わるときには、「Have a nice week-end」ってみんな言って、やっぱいい週末を過ごしましょうと。
山本:その当時、向こうやったら、何時から何時まで働くんですか。やっぱ9時、5時ですか。
北田:基本は9時、5時でも、マネジャー時代はそんな時間の制限は逆になくて。僕なんか日本と時差があるから、日本の朝がアメリカの夜だから、夜の8時、9時までやりましたよ、アメリカでは。

山本:それ当時は電話ですか、ファクスですか。
北田:当時は電話ですね。

山本:すごい。めっちゃ高いですよね。(笑)めっちゃ高い。
北田:電話も通じるんで。僕が行ったときはテレックスじゃなかったの。テレックスって、穴、空いてるテープみたい、だーっと出てくる、そういう時代があったの、僕らの前はね。僕らのときはもうメールが始まった頃ですね。

山本:ああ、やっと?へえ。
北田:うん。パソコンがこんなでっかい時代、アメリカの会社ではこんなちっちゃいMacintosh IIってやつがあって、それはまあ英語の扱いしかない。日本にはなかったですね。で、日本は、日本でもそれ入れてもらって、海外にかかわる部署だけはMacintosh使って。だからパソコンは早かったですよ、導入したのが。で、レーザープリンター。

山本:ご自身で使われたのも結構早かったってことですよね。
北田:そう、早い。だから88年ぐらいから、もうパソコン。

山本:それよかったってことですか、やっぱり。
北田:いや、それはないと逆に仕事にならない、アメリカはね。それよかったって、ないとどうしようもない。だから日本で、駐在に行く前にそれを買ってもらって練習して。

山本:当時、50万とかですか。
北田:いや、値段なんか覚えてないよ。

山本:(笑)、高そう。
北田:いや、レーザープリンター1個30万したの持ってたな。

山本:高い。
北田:プリンター1個30万。だってそういうの、まだ本当できたばっかりで。Apple以外になかったね。日本でもあったけど、もう全然でっかい、がっちゃん、がっちゃん、なかなかできない。

山本:何かよくあるやつですね、昔のやつ。
北田:だからいかに、そのAppleがすばらしいかっていうのは感じたよ。何年前だろな、88年ぐらいだから、ちょうど30年、違うか。
男性B そんぐらい前ですね。むっちゃ前ですね。
北田:そっから急激に進化しちゃったもんね。今のパソコンがそうやって今あるけど。

山本:今、何でもできますからね。
北田:ラップトップはね。
男性B すごい。
北田:だからメールができるようになってよかったですね、割とね。でも電話のやり取り必要だから、ロサンゼルス、夜8時が日本の朝10時だから、9時、10時ぐらいに、日本の朝、会社へ来たその海外事業部のメンバーとかとやり取りをして、そのミーティング終わってから家へ帰る、みたいな。

山本:で、寝る、みたいな。
北田:車の通勤だったんでね。

山本:アメリカと日本じゃ、どっちが住みやすいですか。
北田:今の僕、住んでる環境も、決して嫌いじゃないから。だけどアメリカのほうが住宅は広いよね。

山本:そうなんですか
北田:うん。基本的にマンション型のコンドミニアムも一部屋が広いから、割と。で、僕は最初コンドミニアムに1人で住んで、単身赴任で。家族呼んでから戸建てに変わったのね。だからプールつきではなかったけども。

山本:プールつきあるか。
北田:プールの家ではなかったけども、借りた家はいわゆる結構住宅街だと、すごい広い家。

「物事は節目で考える」

第一回北田正喜氏との対談


山本:そのとき、サラリーマンだったんですけど、夢とかあったんすか。
北田:夢は、どっちかというと仕事好きだったから、そのイクシーズというブランドを世界でこのぐらいにしてやろうと思ってた。だから日本で100億以上やってたから、既にもうそのとき、うちが。で、アメリカの市場見るとその3倍できるなと思ってたから、だから世界で500億、1000億のブランドにしたいなっていう夢があったね。

山本:でかいな。僕より全然でかいっすね。すいません(笑)。
北田:で、ハワイで国際会議とかやれるようにしたらいいなと思って。だから日本に帰ったときも、日本の人たちにも、世界のブランドにするぞって言ってたし、アメリカのメンバーも育てるぞと、おまえらが将来の役員になるんだぞと。今、始まったから、今、いることはラッキーなんだと。

山本:めっちゃ意識高いな。やばい(笑)。
北田:ね、だからきっとみんな、あと10年後、20年後には、君たちが役員になれるんだぞっていうふうに、夢を語ったりして。

山本:それいいな、それやろ。
北田:やっぱりできあがってる会社に入ると、一つの駒になってしまって、そこの社長になれったって、なかなかなれないんだよ。

山本:なれないです。
北田:ね、何千人もいる中で何人かはなれるんだけど、そんな、運もあるわけで。ね?入ったときは僕もなれると思わなかったけど、誰も思わない。言ってみたはいいけど、それ言ったとこで現実性が高くない。でも新しい会社ってのは、そのチャンスがみんなにあるわけです。

山本:ありますよ。
北田:それが、みんなが、そしてオーナーが、だけじゃなくて、君たちがなれるんだっていうのが。

山本:それだよね、北田さん、その。当時多分40歳ぐらいですか。
北田:35歳。

山本:35歳のサラリーマンって、僕のまわりではそんな熱く語る人はいなかったですけど、北田さん、むっちゃ熱い。
北田:まあそういうタイプだったんですよ。

山本:いや、めっちゃそれはすごいですね。それは偉くなりますよ。
北田:結果的にはそういう仕事を、責任増えましたけども。若い、その30代のときに一番ね。

山本:じゃあやっぱアメリカ人、そこまで言うんやったらこれぐらいやれよ、みたいな感じで言ってくるんですか。
北田:そういうことはしないね、一緒にやろうって、みんな。

山本:うわー、めっちゃいい。
北田:営業も頑張るから、そういうもんやって。

山本:僕もその会社入りたい(笑)。
北田:というふうに、僕はそう言って、人をやっぱり一生、仲間として。その代わり自分も、率先垂範、有言実行っていつも言ってるんですけども、やっぱり自分で言って、やる。有言実行は大事で。日本人は言わないで、黙っててもわかるだろ?と。

山本:多いっすね。それ、だめですね。
北田:そういうのはやっぱりよくないと思って。やっぱり自ら宣言してやることが大事で。その率先垂範が大事なのは、やれっていうよりも、やってみせるのが大事だから。だからそれは、あとも僕が違う会社にいったり異動したときも、やっぱりまず背中で見せるじゃないけども、それ昔風じゃなくてね。やっぱり商談も横に座らして、商談をやってみせて、聞いてた?とレクチャーする。何であんとき俺がこう言ったと思う?何であのとき相手はこう言ったと思う?それすべて解析してやるわけ。で、あそこでは二つぐらいカード切るのあったけど、何でこっち選んだと思う?とかって、そういうのをちゃんとレクチャーして教えるの。そうすると、ああ、こうやって商談ってするんだと。で、最後、こうやってまとまったろ?何でまとまったと思う?って。そういうのをオンザジョブで。

山本:偉い。35歳で、それはできないですね。
北田:オンザジョブで、

山本:意識高いですね。
北田:たまたま。

山本:モチベーション高いわ、その何か源泉とか何かあるんですか。僕も結構高いほうなんですけれど。
北田:うーん、何でしょうね。僕は多分、高校、大学時代に、別に民間企業で働くって、あんま、つもりなかったんで。

山本:言ってましたもんね(笑)。
北田:なれるんだったら、割と、人のためになるようなことがかっこいいとすればですよ。当時、まだ学生だから。司法試験受かんなかったけども、要するに学校の先生の資格も持ってたし、それからちょっと民間だと、金もうけするっていうことよりも、結果的に金は入ったほうがいいけども、要はもっと社会のためになるような何か仕事できないかなと、ちらっと思ってたわけね。

山本:大学生の頃は。
北田:そうそう、それは甘いんだけど、簡単にはなれないんだけども。

山本:(笑)
北田:で、結局民間へ入ったときも、モチベーションっていうのはあんまりはっきりしてなかったわけ。でも自分が思ったのは、一緒に同期で入ったやつが、内定すると研修とかやるじゃない、最初、配属前に。そのときに、もうすごくハードな時代だったから、忙しいし、で、結構厳しいし。じゃあもう入ったすぐに、もう愚痴ばっかり言ってるやつもいるわけよ、こんな会社ひどいとか、休みがないとか。

山本:何かいつでも一緒ですよね。
北田:ところが僕は全然、そういうのを聞いてて、何でそれ言うんだろうなと思ったわけ。僕は最初入社して1カ月間、研修も休まなかったし、1年目で10日も休んでないわけよ。

山本:1年目で。
北田:1年間で。

山本:すげえな。
北田:でも、

山本:自主的に行ったってことですよね。
北田:もちろん。だからそれって何でかっていうと、自分で決めて、3日間っていうのは最初何とも言えないけど。わかんないじゃない、3日や1週間じゃ。だから、自分はこの会社に一生いると決めるからそうストレスになるんだと。ね?いつでも人生としては転機は訪れるかもしれないから、辞めることもあるっていう前提に立てば、別に今やってる仕事に対していちいち文句言ってる必要はないと。

山本:でも当時、じゃあ北田さん、それを例えばその愚痴言ってる同僚とかに言うんですか。
北田:言うわけ。それ言うときはもう少し説明すると、その代わり、そうは言っても日常は前に進んでるわけだから、だから今、若い人にも、節目を作ればいいと。最初、1カ月、3カ月、半年、1年、3年、ちょっと伸ばしていくわね、3年、5年、10年、決めた節目になったら考えなさいと言う。
男性B それまで黙って頑張れと。
北田:そこまで一切文句言ったらだめ。で、その日が来たら、この会社にいるべきなのか、ほかへ移るべきなのか考えなさいって。だから節目まで一切迷うなって言うの。
山本:それはそうですね。それはいいっすね。
北田:毎日毎日、迷ってて、この会社いていいのかな、どうかなって、いい仕事できないから。ね?それは社長の会社の社員にもいるかもしんない。毎日毎日、この会社どうなんだろ、将来いいのかなとか、僕は向いてんのかなとかって悩む人もいるかもしんない。でも一定の期間きたら考えなさいって、辞めてもいいんだよ、別に。辞めることは恥ずかしくないのよ。そのときまで考えるなってこと。それ、節目理論って僕は言ってるんだけど。

山本:節目理論(笑)。
北田:節目理論、節目まで考えない。
男性B めっちゃ男らしい。
北田:ね、一切こう。その間、それをちょっとずつ伸ばしてけと。3年、5年、10年、15年、20年ってやるわけよ。僕は結果的にずっといたんだけどさ。でもその時々に、そうやってやってると人が評価してくれたりすると、役職も上がったりするわけよね。
男性B あ、確かに、ね。
北田:だってそのとき一生懸命やってるわけだから、別に文句ないし。ね、そのやり方、だから自分が偉くなったらそれを改善してあげようと思うよ。こんなやり方よくないなと思う、でも自分はやるのは構わない。よくあるのは、自分が体験したつらいことをまた部下に押しつけるやついるわけよ。俺は若いときこうだったみたいな。これ、だめ。だから経験した節目で、自分が経験したくなかったことは絶対させないと。

山本:させない。
北田:させない。だから休みはちゃんと取らせるし。

山本:それはなかなか難しいっすね。やっちゃいますよね、人間は。
北田:それは重要なことです。成功体験があったやつほど間違っちゃうの。

山本:北田さん、日本人に見えて、何か結構アメリカ人っぽいですね。
北田:あ、それはよく言われる。

山本:ねえ、すごい外国人的でいいわ(笑)。
北田:でも、アメリカ人もいろいろいるからね。日本人的っちゃあ、日本人なんだよ。でも古い、僕よりちょっと先輩たちの高度成長期のサラリーマン集団の人たちとはちょっと違う。発想が、そこはね。

山本:いいってことですか。
北田:いいか悪いかは別として、僕は、それは30代の若いときに海外に駐在したり経験さしてもらったことが生きてるからね。ただし、自分が会社に守られてるってことができないわけだから。看板で勝負できない。自分の、個人が頑張んなきゃ発展できないでしょう?でも、ずっと大会社いると、看板で守られてること知らないやついっぱいいるわけね。

山本:それはみんな言いますね。
北田:よく僕はだから、課長、部長のときに、部下の人とかに企画のとき叱ったのは、デザイナーと、商社とかメーカーにちやほやされるわけよ、もう。

山本:(笑)
北田:看板がおっきいから。物も買ってくれるし、相手の部長とか課長の人が何度も何度も来てくれる、ご飯を食べましょう、ゴルフ行きましょうってね。ごちそうされるとか、いいけども、おまえが大事でやってんならいいよ。

山本:それ、普通、調子乗りますって。
北田:だからそういうのをがつんとやるの、だから。

山本:(笑)
北田:調子乗りすぎると、大抵向こうの上司が来るからね、話がある。いやあ、ちょっと最近大変なんですよって。

山本:どんな感じですか(笑)。
北田:クレームくるから。

山本:(笑)
北田:だから、がつんとしなきゃ。

山本:なるほど。
北田:営業なら、僕は百貨店とかよく知ってるでしょう?

山本:はい。
北田:百貨店のも偉そうなやついるわけよ、若いのに。俺は大百貨店の社員だから。で、僕らに調子いいやつはいなくても、まあ、年齢差もあったし、あんまりひどいやつは僕は上に言うから。要するに、おたくの会社を思って言うんだと。あの人は、あのまま置いといたらよくないかもしれないよ。考えてあげたほういいよ。もちろん言葉はもうちょっと丁寧に言うけども、大体それ飛ぶね、そういうやつ。

山本:(笑)
北田:要するに、俺、逆にわかるから。もう得意先の上司がやっぱ一番つらいもん。よっぽどじゃないと言ってこないから。こっち客なのに絶対言ってこないから、普通は。

山本:そうですよね、客ですもんね、お客さんですもんね(笑)。
北田:で、俺が相手に言うってことは、明らかに客なのに(笑)、あえて言うというのは、よっぽどでないと言わないから。社内の評価ばっかりに目を向けてるやつはだめなのよ。得意先からも、取引先からも愛される人になんなきゃだめなんです。要は、自分の上司ばっかり見てる。社長ばっかり見てるやつだめなんだよ、だから。

山本:ええこと言いますね。多分いつもええこと言ってるとは思うんだけどね(笑)。
北田:それ、ええことじゃない、普通。そこはとっても大事で、周りからいい評価得てると、社内も自然とよくなるんだよ。上司は上とつき合ってるからね。おたくの会社のあの子いいねって、あの社員いいねって。いい評価ももらえるわけ。

山本:そんな一言めっちゃうれしいですね。
北田:めちゃめちゃうれしいでしょう?やっぱあの営業いいよって。僕言ってあげるもん、だって。

山本:そうですか。それ、向こうも喜ぶでしょう?
北田:言われたら、相手の社長も喜ぶけど、きっとその本人は社長からいい思い受けるんだよね、こいつは頑張ってるなっていう。

山本:そうですね。そうしたら、また、ここに戻ってきますもんね。
北田:そう。だから、他社もやっぱ利害関係ありそうで、社内って一番利害関係強いじゃないですか、結局は。

山本:それって、ほめて伸ばすっていう、それはかなりほめて伸ばすに当たりますね。
北田:だからもちろんほめて伸ばす。

山本:僕、何か、何でもほめて伸ばすがはやった時期あったじゃないでですか。
北田:今でも、でも、叱るのも大事だと思いますよ。で、まあ、ほめるのも大事だと思うし。でも、あんまりほめ上手じゃないからね、僕は。

山本:だって厳しそうじゃん(笑)。
北田:ほめ上手ではないかもしれん。

山本:いや、ほめ上手はめっちゃ難しくないですか。
北田:うん、だからそれはあんまり上手じゃないかも。

山本:あり得ないです、僕は。

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